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2005年07月10日

テロの話。

周知の事であるが、先週の木曜日、ロンドンでテロが起こった。当然この事件は世界に大きな影響を与えている。グレンイーグルズ・サミットの主要議題であるアフリカ&温暖化など以上に、テロとの闘いが大きく取り上げられている。このサミットで、アフリカに対する支援を各国が約束したことなど、一部の国際政治ウォッチャー以外はすぐに忘れてしまうのだろう。今回のテロについては多くの友人や後輩がblogで何らかのコメントをしている。

テロリストに対して大きく憤りを感じる。でも、ロンドンのテロが大きく取り上げられていることについて若干の違和感を感じないわけでもない。そもそも、こうやって先進国の、それも国際政治に感心を強く持つ層の間でテロが話題になることそのものが、テロリストに踊らされていることなのだ。言うまでもないことだが、ロンドンのテロと9.11テロは異なる。3000人と50人、死者の数も大きく異なる。でも、世界ではもっと多くの人間が地域紛争で命を落としている。やるせない。

9.11が起こった時、俺は高校3年生。夜、ニュースを見ていた、そして「あの映像」を生で見た。翌日、高校にはある種独特の雰囲気があった。どの授業でもテロの話に。生まれてこの方平和そのものだった俺達が「戦争」を初めて身近に感じた、といったところだろうか。後知恵ではなく9.11の前と後で違う空気。何と言っても、俺の担任(60年安保世代・左翼・平和主義者)は事件後間もなく、ショックで10日程高校を休んだ。でも9.11は俺にとってリアルではなかった。3000人が死んでも、日本人が26人死んでも、馴染みのないニューヨークという場所。生まれてから一歩も海外へ出たことのない人間の限界? じゃあ東京でテロが起こればそれで何かが変わるのだろうか。

とはいえ、俺達の世代にとって9.11の衝撃は何にも代え難い。友人や後輩の中には、9.11をきっかけに政治を学ぶことになったという声が少なくない。大学1年の時、サークルの論文集の統一テーマが「テロと国際政治」となったことも至極当然のことだったのかもしれない。ちなみに俺は9.11テロ後のブッシュ政権の対外政策をABM条約の脱退との関係から分析した。そんな俺達にとって「テロ」とは他の言葉とは違う響きがある。

そして、今回のロンドンのテロ。テレビを見ていると無責任な発言が目に付く。過激であればいい(=数字が取れればいい)司会者、国際政治のイロハも分かっていないコメンテーター、傲岸不遜に「テロを防ぐ方法があるなら教えてほしい」と言い放つ政治家…。彼らにとって今回のテロはリアルではないのだろう。でも、それが無責任の言い訳になっていいということはない。ああはなりたくない。

俺の「変わらぬ日常」が続く。

at 23:57│Comments(0) エッセイ風 

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