原状復帰。変わらぬ日常。

2005年05月17日

本の感想、映画の感想…etc.

ようやく先週借りたDVDを観る時間が出来た。

昨日観たのはサリー・ポッター監督の”オルランド”。原作はヴァージニア・ウルフの『オーランドー』(ちくま文庫)。ん~、長編小説をわずか94分に収めるのはきついのかな、という印象。俺は原作を結構読み込んでいたから話は分かったけど、何も知らずに映画だけ見てもよく意味が分からないんじゃないかな。

ちなみに今、BSでやっているロバート・デ・ニーロ主演の「アナライズ・ミー」を観ている。これは2、3年前に公開した時に観た。相変わらずふざけた映画。デ・ニーロだけに「ゴッド・ファーザー」のシーンをパロディに使ってたり、ほんとふざけてる。でも何というか、ふざけながらバカやりながらもアメリカの本質に迫っているような気がしなくもない。

この後は「第三の男」を観ようと思う。今週は映画三昧。

ようやく添谷先生の本を読み終えた。あくまで限定的なものだが、簡単に書評。

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添谷芳秀『日本の「ミドルパワー」外交』(ちくま新書)

本書は戦後日本外交・東アジアの国際関係を考える上で必読文献となるだろう。一文一文から筆者の苦悩が伝わってくる。本書の大きな意義は、戦後日本外交について1つの問題意識に基づいて書かれたほぼ唯一の通史的研究であることだろう。学問的には通史ではなく通史的研究というのもポイント。入江昭『新・日本の外交』(中公新書)なども通史的研究ではあるが、冷戦終結直後に執筆されたということもあり、かなり楽観的な未来予測かつ議論の軸が曖昧である。この点で本書は際立っている。今後、戦後日本外交を考える際には必ず参照される文献の1つになることは間違いないであろう。

本書には大きく3つの分析視角がある。1点目は、言うまでもなく大国としての一国主義を放棄してという意味での「ミドルパワー」。2点目は、冷戦状況の発生前に作られた「日本国憲法」と冷戦状況の発生後に締結された「日米安保条約」、この2つを前提としたことによる吉田路線の「ねじれ」。3点目は、伝統的大国と平和国家という戦後日本の「二重アイデンティティー」である。以上3つを軸に本書は戦後日本外交を概観していく。「ミドルパワー」「吉田路線のねじれ」「二重アイデンティティー」「逆噴射改憲論」など、論争的なネーミングも本書の(というよりは筆者の)特徴であり、本書をより面白くしている。分析視角がしっかりと定まっていることから、本書の記述は安定的であると共に、他の研究とは異なる見解を提示している。福田ドクトリンや中曽根外交への評価の高さは本書の読みどころであるが、その「文脈」は従来の研究とは異なっている。かつて高坂正堯はそれまであまり評価されてこなかった吉田茂を評価した。そして本書で筆者は中曾根康弘を同様に評価している。その是非はともかく、今後中曾根外交を考える上で本書が出発点になることは間違いない。

本書でもっとも論争的な点は、やはり「ミドルパワー」だろう。この用語が誤解を生みやすい点は筆者も自覚しており、「まえがき」「あとがき」でも詳しく「言い訳」がされている。その言い訳はなかなか納得させられるものがあるので是非読んで欲しい。俺自身が「ミドルパワー」論についてどう考えているのか明らかにする段階ではないと考えるので、ここではこれ以上議論はしない。ただ一つだけ言うとすれば、筆者のいう「ミドルパワー」外交を実践するとすれば、日本の国際社会での役割は現在より数段重いものになることは、間違いない。この点は、筆者が五百旗頭真のコメントとして「あとがき」で明らかにしているとおりである。一つだけ不満をあげるとすれば、それは冷戦後に関する記述である。ポスト冷戦期はまだ「歴史」になっていないので仕方が無い面もあるが、冷戦期と比べて若干分析に「鮮やかさ」が感じられない。俺は、現在の東アジアを見る上では冷戦終結よりも米中接近をより重視すべきだと考えている。筆者が、ポスト冷戦期の特徴として挙げている点も、やはり原点は米中接近にあり、それは冷戦終結で大きく変わったとは言えないのではないか。ま、どう考えるかは人それぞれなんでとにかく読んで感想を聞かせて欲しい。

at 21:31│Comments(0) 本の話 | 映画の話

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